ヒストリー
創業社長の首藤喜四男は、林業や大工のスキルをベースに、しっかりとした施工と、「建てさせていただいた住宅の不具合は一生涯責任をもって直す」という責任感を大切にしていました。
昭和55(1980)年に大工見習いとして入社した長男、一弘も志は同じですが、時代は徐々に大工の高齢化、人材不足の局面を迎えます。
2代目社長は、大工育成と、住宅性能や設計提案力の強化などにも取り組んでいます。
二代目社長・首藤一弘
後進の育成こそ使命
父に憧れ、大工の道へ
子どもの頃から住宅建設現場に父についていって、大工の仕事に憧れ、大工さんからお菓子をもらったりして現場が大好きになった長男の一弘。昭和55(1980)年に大工見習いとして丸三ホクシン建設に入社しました。道央建築高等職業訓練校で学んだ建築物の構造や、現場での施工法、道具の研ぎ方など、大工として大切な基礎的なことを学びました。現場で先輩大工に習いながら大工の腕を磨き、日本建築大工技能士会 札幌支部に入会し、青年部の活動に参加。建築大工一級技能士・職業訓練指導員・二級建築士・二級施工管理技士を取得しました。
大工から社長へ
丸三ホクシン建設の先輩大工からは大工としての技能を学び、大工として約15年間現場に入りました。現場が好きで、自分が手がけた住宅は全部自分で仕上げたいという想いが強い大工気質でしたが、住宅会社は現場だけでは成り立ちません。父の体調不良もあって、後継者として会社全体に対する責任を感じるようになりました。現場への愛着も何とか振り切って、33歳の頃に、棟梁の岡田正洋を中心とする大工に現場を預け、現場から離れました。そして平成16年社長に就任しました。
設計・経営・指導スキルも磨く
大工としての経験は十分。2級建築士の資格も持ち、社長就任前からプラン提案をしていました。かつて学んだ職業訓練校で、監督者訓練指導員(TWIトレーナー)の養成訓練「仕事の教え方・人の扱い方」も受け、職業訓練校の講師として10年以上教壇にも立ち、人材育成・指導に対する経験も積みました。大手ハウスメーカーの建設工事を請け負った経験や、建築家と連携して家づくりも経験する中で、住宅業界が抱える一つの大きな課題を感じるようになりました。
大工育成が生涯の目標に
住宅業界は、大工の減少・高齢化に直面しています。省力化とコストダウンのために現場工事は多くがプレカット工法になり、大工の仕事は与えられた材料を組み立てるだけになりつつあります。大工が家を作る姿も養生シートで覆われ、近所の子どもたちが大工の仕事を見る機会も減りました。大工を志す若者は年々減り職業訓練校も閉校に...。墨付けができ、構造が理解できる、大工として家一軒を建てられる、加工もできる若い大工が減っている。腕の良い大工ならもっと良い家が作れる。何とかして若い大工を育てたい。「それが私の使命だ」と考えるようになりました。
大工の雇用体系に課題
一弘は20代のころ、大工さんは収入が良いと信じていました。確かに大工の手取りは同年代のサラリーマンより多い。しかし大工は、大工道具や保険、車両などの経費を自分で負担しなければなりません。その結果、年間の所得では賞与などもあるサラリーマンより少ないという現実がありました。一昔前の大工は請負で仕事を引き受け、目の前の仕事をうまくこなしてカネを貰うという仕組みに慣れています。住宅会社側も建設工事が無いときは大工に依頼しなければ人件費は抑えられる。福利厚生などの負担もほとんどありません。請負制度は大工を雇う住宅会社側にとっても都合が良かったのです。
大工が安心して働ける仕組みを
しかしそれでは大工の生計は安定しません。大工にとって、今日はあのハウスメーカーの現場、明日は別の工務店の急ぎの現場、明後日の仕事は予定なし、あるいは値引き要求されている現場だ、といった形で、住宅会社側の事情に翻弄されながら仕事をしていては、質の高い施工に専念することが難しくなります。そこで、丸三ホクシン建設は、大工を通年雇用し、月給制、健康保険、社会保険、退職金も整備しています。施主との打ち合わせに棟梁が参加したり、施工現場に施主が見学にこられた時に、しっかり施主の思いを伺い、工事に反映させていく姿勢を持った大工が育っているのも、育成と雇用の両面の体制を強化してきたホクシン建設の特長です。
大工育成が工務店経営の根幹
丸三ホクシン建設は、大工を通年雇用、安定した仕事もある、先輩が後輩を教える体制も整っている、現場の仕事内容も面白い、と評判になり、多くの若手大工が集まっています。「大工」として、現場で自らの腕を高め、より質の高い仕事を効率的にこなそうと日々頑張っている社員、「棟梁」としてお客様や設計者の要望などを理解し、チームのメンバーを統括しながら住宅品質に責任を持ち、時に厳しく、時にやさしく指揮していく能力を十分に備えた人材、左官・基礎・板金など様々な専門職や建築資材の手配をはじめ、工程や書類の作成などといった、現場だけでない部分をディレクションする立場である「帳場(ちょうば)」として日々格闘している若手もいます。
住宅の性能強化に取り組む
先代の喜四男社長時代は、暖かい家づくりがしたいと断熱性能の強化を目指し、柱を150ミリにして、柱間にグラスウール150ミリ施工する高断熱住宅に取り組んでいました。経営が2代目、首藤一弘社長になって以降、住宅の断熱・気密性能の強化に取り組み、現在は住宅の構造体など、家全体を外側からスッポリと高性能断熱材で包むSHS工法を採用しています。断熱性能が高いことは、光熱費の削減や室内に寒い場所が無くなる、など室内温度環境の改善はもちろんですが、吹き抜けなど、開放的な間取りを実現しやすくなった点も大きなメリットになっています。
住宅性能を常に検証
丸三ホクシン建設は、住宅は施主の要望があるか無いかを問わず、全棟気密測定を行っています。当初は性能をチェックして気密性能が不十分なら直すなど、問題を解決するために気密測定を行ってきました。しかし、今では技術水準が高いため相当隙間面積(C値)は0.5を超えることはありえない状況です。それでも気密測定を続けているのは、一つひとつの現場で大工の施工力を油断せず確認すること。そして断熱や気密、雨水の浸入対策など、壁の中に隠れていて、建物完成後には見えない部分の施工精度こそが重要であることを、常に会社全体で意識するために行っています。
太陽光発電など創エネも自ら検証
暖房や照明、家電などで使う光熱費を、太陽光発電などの創エネ、地中熱ヒートポンプの導入などで実質光熱費ゼロにする「光熱費ゼロ住宅」についても丸三ホクシン建設は取り組んでいます。光熱費ゼロ住宅は実際にどのレベルの気密・断熱性能、発電などのスペック、さらにはどのようなライフスタイルで実現できるか、一弘社長は自宅に太陽光発電と地中熱ヒートポンプによる創エネにもチャレンジ、光熱費ゼロがどの実際に暮らしながら検証を続けています。
光熱費ゼロ住宅(一弘の自宅)
受注も徐々に拡大
大工の育成が順調に進み、力のある若い大工が年々増えています。施工力が高まることで、札幌圏だけでなく、函館や旭川などでも要望があれば家づくりのご相談に応じられるようになりました。設計士も社内に加わり、総務など大工以外の社内スタッフも充実し、創業から40年以上を経過して会社の規模も着実に大きくなり、家づくりの実績も年々増えています。
現在は、将来の大工を育てようと、子どもたち向けの木工教室を開催したり、建築大工の技能士会の事務局、子育て世代を中心とする食と農の市民活動「るるる♪キッチンガーデンくらぶ」の活動サポートなどにも取り組んでいます。丸三ホクシン建設は、創業社長から受け継いだ、大工の技量を根幹とする基本性能の高い家、そして顧客の想いに真剣に向き合い、自然素材を大切にした快適な住まいづくりを今後も貫いていきたいと考えています。